暑い日、極端に涼しい日が交錯する7月、皆様如何お過ごしでしょうか。
コロナ前でしたでしょうか。
当クラブメンバーさんでもある大町桂月を語る会事務局長さんに案内いただきながら、当クラブのウォークイベントとして、蔦七沼を巡るウォークをしたことがあります。
恥ずかしながら、私その時初めて、蔦温泉の道路を挟んだエリアに大町桂月氏、小笠原耕一氏、武田千代三郎氏の三方の墓石があることを知りました(今はアントニオ猪木のお墓も隣りにあります。)。
そして、余材庵のいわれ等々、蔦沼エリアの大自然だけでなく大町桂月氏のお話をとても興味深く聞かせていただいたことを思い出します。
その時お聞かせいただいた大町桂月に関するエピは、その後来青する友人らを蔦に案内するときに、さもガイドであるかのようにその蘊蓄を語る自分がいます。(笑)
私が大町桂月に関してのお話でとても面白いなと思った逸話を一つ紹介させていただこうかと。
氏が大きくなったらなりたいものが3つあったそうです。
一つは政治家、もう一つが軍人、そして文人。
政治家は、御本人が吃音であったため断念、軍人は目が悪かったため、これも断念。
消去法で残ったのが文人だったのでそれになるしかなかったのだそう。
あれほどの才能が消去法で生まれたのだとか。
世の中何が身を扶けるのかわかりません。
そんな大町桂月氏、今年は没後100年を語る迎える節目だそうで、先月の桂月忌に際しては大勢の人が現地に集まったそう。
その関連イベントとして「大町桂月と桂月の仲間たちの功績と足跡-大町桂月没後100年記念企画展」が7/20~22まで十和田市文化センターにて展示されるそうです。
以下、リンクを張っておきます。
大町桂月ってこんな人ですリンク。
定例ウォークお休み期間中ですが、自主ウォークのついでにお立ち寄りいただくことをおすすめします。